自由人法帖~自由忍者紀行録~

自由に旅をするのが好きな忍者が書く雑記ブログです。旅・ゲームアニメ書評等のテーマで書いてます。

浜ちゃんのコスプレって差別にあたるの?僕には全然理解できない

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お久しぶりです、じゆにんです!
PUBGだのFF14だのFGOだのにハマって少しブログを休もうと思った矢先・・・

いつの間にか約半年たっていました(白目)
ブログって少しでも離れちゃうとだめですね、一気に書こうとする意欲が失せてしまいます・・・

このままじゃあかん・・・!ってことで年も明けたことだし、休んだだけあって書きたいネタも結構たまったので、心機一転少しずつでもブログ書いていこうかなーと思います。

まず今回はリハビリがてら、最近気になったネタについて書きますね。

ガキの使い 2017 笑ってはいけないアメリカンポリスの1シーンにて

「浜田 黒人」の画像検索結果

最近騒がれているネタなんでみなさんご存知かと思いますが、昨年末の毎年恒例「笑ってはいけないシリーズ」にて浜ちゃんが「ビバリーヒルズコップ」のエディーマーフィのコスプレをした(させられた)ことが「黒人差別している」と一部界隈で大騒ぎされています。

だけどこれ、僕は「差別じゃなくね?」って思うんですよね。
例えばコメディアンが肌を黒塗りして、黒人のみなさんが一般的に行う所作や挙動、慣習、身体的特徴なんかを面白おかしくネタにしていたとかだったら「差別」認定されても仕方ないと思いますが、
単純に「アメリカンポリス」のテーマの笑いのネタとして「ビバリーヒルズコップ」のコスプレした"だけ"じゃないですか!

日テレも「黒人の差別の意図は一切ない」としているし、視聴者の多くもこれを差別と捉えている人なんていないと思います。

というかそもそも、日本人は黒人差別って持ってる人ほとんどいないんじゃないでしょうか?
むしろ黒人の方は身体的にも優れているし、俳優やスポーツ選手としても優れている人が多いので好意的にとらえている人が多いと思うんですよね。

なのにも関わらずこんなに騒がれているのって、結局些細な事でも差別だのなんだの問題としてとらえる過剰に反応してしまう人の声がネットやSNSの普及によって大きくなっていることが原因なんじゃないかと思っています。

笑いのネタぐらい素直に受け止められないのかな?

勘違いしないでほしいとですが、僕自身差別自体は決してあってはならないものだと思っていますよ
肌の色の違い、生まれ育ちの違い、宗教の違いなどだけでその人となりを判断するなんて馬鹿げていると思うし、差別問題が進展するとヒトラーのユダヤ人迫害なんて悲劇にもつながるわけですしね。

でも、それと同時に何でも過剰に反応して差別と捉え、差別ガー問題ダーと騒ぐのもおかしいと思っています。

もちろん本当の差別に対して「それは差別だ!」と指摘する姿勢は重要です。
だけど、ほとんどの人が問題ないと思うような表現・発言などにも過剰に反応してしまうとお笑い・映画・ドラマなどの表現が委縮してしまうし、第三者としてみていてもこうもしょうもないことで大騒ぎしていると「息苦しい世の中だなあ」と感じられてしまうし、何より「差別と感じてしまう」人自体過剰に反応することで生きづらくなってしまうんじゃないの?と感じてしまいます。

差別問題は表現する側だけではなく受け取る側の歩み寄りも重要

「センシティブに反応してしまう人に対する配慮」というのも必要だと理解はしますが、僕は「表現に対する寛大な態度」ってのも大事だと思います。

ですがツイッターの反応を見ていても「差別じゃなくない?」「過剰に反応しているだけ」「全然問題じゃない」という意見が多いです。

つまり、比率まではわかりませんが今回の「黒人差別」騒動に対して差別と感じる人もいれば、「大した問題じゃないのにここまで騒いで面倒・息苦しい」と感じる人も多い、ということになります。
差別に敏感になりすぎて前者の人々に対する配慮だけ取りざたされることが多いですが、後者の人々の意見も結局無視してはいけないんじゃないかと思っています。

少なくとも僕は差別問題と同様に、人の発言・挙動に対して過剰に反応するこの世の中に対しても危惧感を覚えています。何しても叩かれるんじゃ生きづらいったらありゃしないですよ!!

もうちょっとこう寛容な世の中になってもいいんじゃないでしょうか?

 

最後に・・・

と、最近のニュースに対してもやもやしていたので、久々にブログを書かせていただきました(笑)

やっぱこう、自分の中でたまっている想いを吐き出せるってのは気持ちいいですね!
ブログ執筆の楽しさを再認識したので、これからもちょいちょい更新を続けていきたいと思います!